黒土の大地 倉垣農園 kuragaki orchard

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2022/07/28

黒土は力なり

20代の頃は何故か解らないけど

根拠無い自信と社会に対し

反骨精神の様なものがあった、、

両親のお陰で育ったのにその恩や気持ちを忘れ

折角受かった東京農大を殆ど行かず

東京の都会の綺羅びやかさが

楽しく感じ遊びまくった、

たまたま見た新聞で

米国農業研修生の募集の広告を見て直ぐ応募して受かり躊躇無く大学を辞め渡米した

親をどれ程失望させた事か反省しても両親は今はいない

帰国し実家で暮らし地元の農協で勤めた一ヶ月手取り8万、こりゃ駄目だと1年も経たず勤を辞め又両親を失望させた

農業で生計を立てようと京都府農業普及センターの方に相談し、夜久野は夜久野ぶどう(ベリーA)が盛んだからぶどう作りを勧められ

親に借金をし土地を買い

親戚に頼み保証人になって貰い銀行でお金を借りた

棚の周りだけ業者様に頼み

棚作りの資材等はホームセンター等で揃え自分でぶどう園を作くった

地元ではベリーAを作る農家が10件位有りベリーAでは競争率が高いし、始めたばかりの倉垣農園は知名度も無いからベリーAと巨峰系を作る事に決めた

将来ぶどう販売の事を考え夜久野のぶどう組合に入る為に頼んだが組合員定員がいっぱいで断われた

当時は組合と言っても箱を纏めて作るのに数を作れば安くなるだけの事だった

仕方ないので箱屋さんを探し箱を周りと同じ値段にする為に3年分纏めて作った

実家は箱の倉庫と化した😅

それでも母は愚痴りながらもぶどうを軽トラに乗せ売りに回ってくれた

値段もあるが巨峰系中々売れず近所の保育園のお姉様方が運動会で販売してくれたり近所の地元のお客様が購入し皆に配ってくれたり、皆様の協力で段々お客様がついて来てぶどうが売れる様になった

それでも鳴かず飛ばず何とか借金だけは返せた、コレからって時

2001年1月に母が亡くなった

その年ツレとお見合いし結婚した

お見合いが2月でぶどうの時期では無いのでツレに冷凍したぶどうを父が食べさせた

食べた後、直ぐツレは嫁に来たいと言ってくれた

ツレは奈良の中央市場で勤めていて中々のキツい性格だった…

同年弟も会社を辞め共同でぶどう園をする事になった

初めから順調に始まった訳でもない

都会感覚のツレ、田舎感覚の僕と父、夫婦の間に挟まれ働く弟

直ぐにツレの意見にハイそうです、そうしますとはならずケンカする毎日

でツレは贈答用ぶどうの箱に地元のパンフレットや農園の紹介気持ちを伝える文章を作り入れると言い出した経費係るし誰も読まない、あかんと言ったのに僕達の反対を押切り入れた

収穫期は忙しく箱詰めにも追われ配送の時間等あるのに余計な事してとツレに怒った

怒鳴り声もツレは無視する

あんたらの手は止めない私が勝手にする私は生産者の思いをお客様に届けたいだけや私があんたの作ったぶどうを食べ感動しただから嫁に来たんや

当たり前の様に作物を作ってるけど 

こんな作業してるの夜久野でぶどうの作業を見る迄知らなんだ

だから

それを伝えたいし誰が作ったか解らん野菜や果物より生産者の人隣や作業がわかった方が贈答用には価値が出るし安心出来る

と言われた

特別な事はしてないし旬の時期に出せば普通に美味しい

ぶどうの摘粒に手を入れ綺麗に作る事を優先し

人手が無いから

消毒を2、3回しか出来なかっただけ、

たまたま規定の消毒回数出来ず、

草刈りも出来無かった

農園は草ボーボーだった

それでも

ぶどうが作れただけの事を

大袈裟に減農薬と謳った事で

ケンカになった

ツレは何で?またまたでも凄い事やでそれを言って何が悪いの事なのかっ反論する

パンフレットだってどうせ入れても誰も読まないと勝手にしろと言い放ち

ツレと余り話さなくなった

諦めずツレや義父は毎年文章を作り箱に入れ続けた

何年かして1枚の葉書が届いた

【黒土は力なり】

僕はその葉書が届いた時

何故か涙がこぼれた

今でもツレは挫けそうになった時

その葉書を見て奮起する

ツレは

あんたらの気持ちはちゃんとお客様に届いてるんやと嬉しそうに話す

有難うごめんと言うと

謝るな!えぇぶどう作ってや

えぇぶどう作ってくれな文章なんて書けないからな気張れよって

この口👄の悪さは何とかして欲しいけど