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2024/05/14

ホセ・ムヒカ

数年前ウルグアイの

元大統領

ホセ・ムヒカ氏

の演説に

私は感動しました

でも

何日か経つと

忘れてしまいました

人は忘れる

気に病む様な事が

あっても

忘れるから淡々と

日常を過ごせる

日々感謝する事

感謝を感じる事を

常に忘れ無い

努力が必要です

此れが中々

難しいのですが…

自分の為に

思い起こすように

HPに書き起こす

事にしました

“世界でもっとも貧しい大統領”として

知られるウルグアイの

ムヒカ大統領が、

2012年のリオ会議

(地球サミット)で行った

名スピーチです

書き起こしの

詳しい記事は

↓↓↓

https://manabishare.com/president-mujica-speech-in-rio/

ホセ・ムヒカ氏:

会場にお越しの政府や代表者の皆さま。

ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルと、

ディルマ・ルセフ大統領に

感謝いたします。

私の前にここに立って演説した、

快きプレゼンターのみなさまにも

感謝いたします。

国を代表するもの同士、

人類が必要であろう

国同士の決議を

議決しなければならない。

その素直な志をここで

表現しているのだと思います。

しかし、頭に中にある

厳しい疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは、

持続可能な発展と

世界の貧困を無くすことでした。

私達の本音は何なのでしょうか? 

現在の裕福な国々の発展と

消費モデルを真似することでしょうか? 

質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と

同じ数の車をインド人が持てば、

この惑星はどうなるのでしょうか。

息をするための酸素が

どれくらい残るのでしょうか。

同じ質問を別の言い方ですると、

西洋の富裕社会が持つ同じ

傲慢な消費を、

世界の70億~80億人の

人達ができるほどの原料が、

この地球にあるのでしょうか?

それは可能ですか? 

それとも別の議論を

しなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような

社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、

資本主義の子供たち、

即ち私たちが、

無限の消費と発展を求める

この社会を作ってきたのです。

マーケット経済が

マーケット社会を作り、

このグローバリゼーションが、

世界のあちこちまで原料を

探し求める

社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションを

コントロールしていますか? 

あるいは、グローバリゼーションが

私達をコントロールしている

のではないでしょうか?

このような残酷な競争で

成り立つ

消費主義社会で

「みんなの世界を良くしていこう」

というような共存共栄な議論は

できるのでしょうか?

どこまでが仲間で、

どこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、

このイベントの重要性を

批判するためのものではありません。

その逆です。

我々の前に立つ巨大な

危機問題は環境危機では

ありません。

政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、

人類が作ったこの大きな勢力を

コントロールしきれていません。

逆に、人類がこの消費社会に

コントロールされているのです。

私たちは発展するために

生まれてきているわけでは

ありません。

幸せになるために

この地球へやってきたのです。

人生は短いし、

すぐ目の前を過ぎてしまいます。

命よりも高価なものは

存在しません。

ハイパー消費が世界を

壊しているにも関わらず、

高価な商品や 

ライフスタイルのために

人生を放り出しているのです。

消費が世界のモーターとなっている

世界では、

私たちは消費をひたすら早く、

多くしなくてはなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、

経済が麻痺すれば

不況のお化けが

皆の前に現れるのです。

このハイパー消費を続ける為には、

商品の寿命を縮め、

できるだけ多く

売らなければなりません。

ということは、

10万時間も持つ電球を作れるのに、

1000時間しか持たない

電球しか売ってはいけない

社会にいるのです!

そんな長く持つ電球はマーケットに

良くないので、

作ってはいけないのです。

人がもっと働くため、

もっと売るために

「使い捨ての社会」を

続けなければならないのです。

悪循環の中にいることに、

お気づきでしょうか。

これは紛れもなく政治問題ですし、

この問題を別の解決の道に

進めるため、

私たち首脳は

世界を導かなければなければ

なりません。

なにも

石器時代に戻れとは

言っていません。

マーケットを再び

コントロールしなければならないと

言っているのです。

私の謙虚な考え方では、

これは政治問題です。

昔の賢明考え方では、

これは政治問題です。

昔の賢明な方々、

エピクロス

(古代ギリシャの哲学者 快楽主義の祖)

セネカ

(小セネカとも:古代ローマの哲学者で、皇帝ネロの家庭教師を務めた)

アイマラ民族

(南米の先住民族)迄

こんなことを言っています。

貧乏な人とは、

少ししか物を持って

いない人ではなく、

無限の欲があり、

いくらあっても

満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって

文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者として、

リオ会議の決議や会合に、

そういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には

耳が痛くなるような言葉が

結構あると思いますが、

みなさんには

水源危機と環境危機が

問題源でないことを

わかってほしいのです。

根本的な問題は、

私たちが実行した

社会モデルなのです。

そして改めて見直さなければ

ならないのは、

私たちの生活スタイルだと

いうこと

私は、環境に恵まれている

小さな国の代表です。

私の国には300万人ほどの国民しか

いません。しかし、

世界でもっとも美味しい牛が、

私の国には1300万頭もいます。

ヤギも800万から1000万頭ほどいます。

私の国は牛肉やミルクの輸出国です。

こんな小さい国なのに、

領土の80%が農地なのです。

働き者の我が国民は、

毎日一生懸命に8時間働きます。

最近では6時間だけ働く人が 

増えてきました。

しかし6時間労働の人は、

その後もう一つの仕事をし、

実際には更に長く

働かなければなりません。

なぜか? 

車や、その他色々なものの

支払いに追われるからです。

こんな生活を続けていては、

身体はリウマチに全身を

おかされたがごとく疲弊し、

幸福なはずの人生が

目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして、

自分にこんな質問を投げかけます。

「これが人類の運命なのか?」

私の言っていることはとても

シンプルなものです。

発展が幸福の対向に

あってはいけないのです。

発展というものは、

人類の本当の

幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、

友達を持つこと、

そして必要最低限のものを持つこと。

幸福が私たちにとって

もっとも大切な

「もの」だからなのです。

環境のために戦うのであれば、

幸福が人類の

一番大事な原料だということを

忘れてはいけません。

ありがとうございました。